2014.04.22 11:39

【学生記者が行く】「リマテック」田中靖訓副社長に聞く

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記者:腰山夏未

リマテック(大阪府岸和田市)は廃油や汚泥などの産業廃棄物の再資源化処理から、プラントの技術開発、計画までを一貫して行う。東日本大震災では災害発生から5日後、壊滅的な被害を受けた岩手県の大船渡市と陸前高田市に出向き、がれき処理の技術支援だけでなく地域全体の復興にも携わった。「人がしない仕事をして、社会の仕組みをつくることで社会を良くしたい」と語る田中靖訓副社長に、復興支援や今後の事業展開などを聞いた。


――事業で大事にしていることは

 「廃棄物は社会の不要物であり、廃棄物処理業界も一部の不法投棄のニュースでよくないイメージを持たれがちだ。しかし本来は不要物から新たな資源を作り出すことのできる、社会的に意義のある仕事だ。業界のイメージを変えることで、人々の生活の中で出てくるごみや環境への意識も変わる。そうした社会の仕組みをつくるため、他社が取り組まない不法投棄物やダイオキシンを含む廃棄物の処理を率先して行ってきた」

 ――被災地に行くことになった経緯を

 「岩手県では、廃棄物を処理する際に発生する有害物質による地下水汚染を防ぐ事業について、県のコンサルタントとして請け負い、8年間、現場で進捗(しんちょく)を管理していた。また、大船渡には当社が設計したプラントを持つ太平洋セメント(東京都港区)の工場があり、数十年の深いつきあいがある。特に震災の1年前は工場に何度も訪れていた。つながりの深い地で震災が起きて誰とも連絡が取れない状況で、動かずにはいられなかった。現地はガソリンなどの油が足りておらず、大阪から灯油や軽油を岩手まで送っているうちに、がれき処理の必要性が出てきて、多いときには40人の社員が大阪から出向いた」

 ――いち早くがれき処理の計画を立てて実行した

 「被災地は津波にのまれ、車や建物ががれきの山と化し、行政も混乱状態。大量のがれきを処理するのは初めてだったが、阪神淡路大震災の経験で何より早く動くことが重要だと学んだ。県庁も現場の状況を把握していなかったので、被災状況を知らせると同時に、県と一緒に復興計画を立てるところから始めた。廃棄物再資源化のコンサルティング事業を行う当社は、単にがれきを処理するだけでなく、処理計画の立案や、それに必要な技術開発などを進めた」

 ――がれきの処理は

 「津波の影響で塩分濃度が高く焼却施設の鉄の部分を腐食してしまう恐れがあった。初めて1日2000トンものがれきを処理することになり、当社の技術開発部門で日々、除塩技術の研究を進めた。その結果、ドラム式洗濯機のような機械でかき回しながら洗うと処理計画に間に合うスピードで塩分を落とせた。今年度でがれき処理は終了するが開発した除塩技術を国内外で津波が発生したときや他の用途に使えるように記録に残し、受け継いでいきたいと考えている」

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記者プロフィール

腰山夏未

腰山夏未

役職 : -
在学中 : 鳥取大学農学部(3回生)
出身地 : 大阪府大阪市鶴見区
誕生日 : 1991年9月3日
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