2014.03.08 10:27

『ありがとう』を伝え自立への第一歩を

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記者:板谷祥奈

「笑顔で『ありがとう』と言えるようになった今だからこそ、伝えたい気持ちがあります」。そう語るのは、東日本大震災で被災し、2011年4月に福島県から妻の実家がある大阪への移住を決めた昆洋平(こん・ようへい)さん(31)だ。支援してくれた人々に感謝を伝えることで「避難者」という立場に区切りをつけたいという思いから、3月9日開催の震災復興応援イベント「3.11 from KANSAI 2014」に参加。関西に避難している人々が支援者への感謝のメッセージを木のモニュメントにして展示する「ありがとうの木を育てよう~笑顔を伝えるメッセージ~」のプロジェクトメンバーとして活動している。参加の経緯と、イベントへの思いについて聞いた。 



=移住を決めた経緯は
「震災後、いったん放射能の影響から逃れるために妻の実家がある大阪に避難しましたが、福島県川俣町にある実家の洋品店が人口流出に伴い経営が困難になり、後を継ぐつもりだった私は目標を見失いました。そしてそのまま、妻と娘2人と共に大阪に移住することになりました」

=移住してから苦労したことは
「人の多さなど環境の違いに戸惑いました。一番ギャップが大きかったのは話し方。大阪の人は『言ってなんぼ』と考えている人が多い印象ですが、福島には言わぬが花の精神があって言わなくても分かり合えると考えています。初めのころは『もっと速く話して』『言ってくれないと分からない』などと言われ、自分らしく話すことができませんでした」
「本当に困ったのは仕事が安定しなかったことです。家族のために福利厚生面で安心できる職場を探す中で、2度転職してヘルパー養成の仕事に就いたものの、経営が悪化し、また仕事を探さなければなりませんでした。昨年末からようやく、堺市の農業公園で体験教室のインストラクターとして働き始めることができました。仕事をする中で食べ物や自然をPRする方法を学んだため、将来は福島ならではの産業を創出し、震災の記録も残せるようなミュージアムを作って福島に恩返ししたいと考えています」

=印象に残っている支援は
「今までたくさんの人々から衣食住さまざまな支援をいただいて、その全部に感謝しています。定期的に料理をふるまってくれる中華料理屋さんや、イベントを案内してくれるボランティアセンターなど、避難者同士のコミュニティづくりをサポートしてもらえたのは本当にありがたかったです。東北出身者同士だから話さなくても伝わる思いがあるし、同じ経験をした者同士でしか分かり合えないこともあります。もし集える場がなかったら、お互い知り合うこともできず孤独に耐えられなかったと思います。他の家族がどうやって暮らしているのかについて情報を交換できたし『みんなでがんばろう』と励まし合える関係もできました。特にユニバーサル・スタジオ・ジャパンのキャラクターのステージを子供と一緒に楽しんだり、まつたけツアーなどの旅行でワイワイとくだけた話をしたりすることで笑う機会も増えました」

=「ありがとう」を伝えたい人は
「石巻復興のために結成され、チャリティーTシャツの販売などを行う『あおぞらロングビーチクラブ』という団体の大阪支部の斉藤さんと仲谷さんです。2012年の3.11 from KANSAIでボランティアセンターからあいさつを依頼され、支援への率直な感謝を伝えるスピーチをしたところ、関西にはこんなに多くの人々が避難しているのかと驚かれ、力になりたいと声をかけてくれたのがきっかけで知り合いました。日ごろの思いを伝える場があったからこその出会いだと思います。私の仕事が不安定だったときに飲みに誘ってくれて相談に乗ってもらえたこともありました。ヘルパー養成の仕事が厳しいときにエントリーをためらっていた仕事先がありましたが『行きたいんやったら行ってみ』という言葉に後押しされ、働き始めたのが今の職場です。今は福島のように豊かな自然と触れ合いながらで仕事ができて楽しくて仕方がないし、生活が落ち着いて気持ちが穏やかになりました。大阪に来てから自分を出すことの難しさを感じていましたが、親身に話を聞いていただいてだんだん自分を出せるようになりました。特に斉藤さんは私にとって『大阪の母親』のような存在です」
                                                                                          

  
=「ありがとうの木を育てよう」プロジェクトに参加した理由は
「震災から3年目となる節目のこのイベントで『避難者』という立場から自立したいと思ったからです。最初のころは余裕がなく、警戒心から支援をお断りしてしまうこともありました。実家の洋品店を継ぐという夢がついえて、何のために生きているのか分からなくなっていたとき、関西の人は阪神淡路大震災を乗り越えた経験から私たちの立場に寄り添い、悩みを理解してくれました。最低限暮らしに必要な物資を支援してくれたからこそ、ようやく仕事や将来のことを考えることができるようになりました。今だって完全に落ち着いたわけではないけれど、支援してくれた人々にありがとうの気持ちを伝えることで区切りをつけたいです」

=イベントへの思いを教えてください
「支援をしてくれた人、してもらった人みんなにとって『やってよかった』と思えるイベントになったらいいと思います。今回は学生通信社とコラボするということで、学生たちと共に育つことができたらいいですね。私たちもがんばっている若者の見本になれる大人でありたい。『避難者』としてではなく、関西という同じ場所で過ごす人として共に歩み出すきっかけにしたいと思います」

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記者プロフィール

板谷祥奈

板谷祥奈

役職 : -
在学中 : 大阪大学経済学部(1回生)
出身地 : 三重県
誕生日 : 1994年11月8日
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