オーダーメードでオリジナルのオフィス家具やロッカーを作る板金加工の仁張(じんばり)工作所(大阪府東大阪市)。仁張正之社長は父から続く会社を引き継ぐ2代目社長だ。今年創業48年を迎えた同社を支えているのは「板金加工の専門家集団」としての仕事へのこだわりだ。
継いだ会社 新時代に合わせたい
――会社を継いだ経緯は
「1964年、5歳の時に父が長屋を改修した工場で創業した。現在は97人の社員がいるが最初は3人だった。自ら現場で図面を引き、会社を大きくしていく父の姿をずっと見て、自然と『自分はこの会社を継ぐ者だ』と考えていた。中学生の時から暇があれば最後の仕上げやネジを切る作業などの仕事を手伝い、嫌と思ったことは一度もなかった。神戸大学の工学部では、中学から続けていたラグビーに打ち込む一方、機械による無人生産についてのシステム工学を学んだ。卒業後、京都の工場に就職し、システムエンジニアをした後、88年に戻ってきた。営業などを経験し、96年に社長に就任した」
――社長としての苦労は多かったか
「実際に経営するようになり2年たった頃に、大変さが分かってきた。資金の問題や会社の能力と受注のバランスなど、悩みや苦労はたくさんあった。今まで行ってきた仕事の一つ一つに責任を重く感じるようにもなった。バブル崩壊や海外への工場移転による産業の空洞化など、父の頃とは時代が変わったこともあり、仕事の仕方も変えていかなくてはならなかった。その際に父と意見が合わず、ぶつかることもあった。引き渡す側と受け継ぐ側では考えはどうしても違ってくるので、仕方ないことだと思う」
――どのように会社を変えていったのか
「90年代までは下請けの仕事が100%だった。そこからオリジナル製品の発売や2003年から始めたインターネット事業で全国に向けて自社の魅力の発信を始めた。その魅力とは『板金加工の専門家集団』であること。例えばスポーツ用ロッカーを売る会社では、スポーツ人口が減れば仕事がなくなる。しかし、板金加工の技術で、顧客のイメージを形に変えていくことを売りにすれば、どんな仕事でも受けることができる。それなら時代の変化にも対応できると確信した。製品カテゴリーをロッカーや家具といった最終的なものから、『鉄をロッカーの形にできる』といった具合に加工技術を押し出したものに変えた。現在では要望に対し、社員が『できない』と言わない会社だ」
――経営手法では父親とどう異なるのか
「昔は父を中心としてアットホームな感じがあった。しかし自分が経営に携わるようになってからは、その感じは失われたように思う。改善提案制度を導入するなど、現場からの意見をくみ取るボトムアップな会社になった。中途採用の給料などは、以前は成り行きで決めていたことも多かった。経営理念の明文化をはじめ自分の代から始めた制度で、父の時とは違う会社の一体感が生まれた」
――今後の目標を
「何があっても元気で生き残れる企業でいたい。会社の元気とは利益を出し続け、社員の暮らしを守り、雇用を生み続けていくことだ。いずれは自社のことだけを考えるのではなく、地域に求められる存在になっていく。中小企業は、今後も幾度となく変化していく社会の中で、多様性を生かして重要な存在になっていく。同じ東大阪の中小企業と協力し、日本のものづくりを支えていきたい」
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