2014.04.22 12:10

【学生記者が行く】「コノエ」河野裕社長に聞く

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記者:福井眞美

1952年創業のコノエ(大阪府東大阪市)は、ねじの卸販売や測量用品の製造卸販売を手掛ける。66年に日本初の測量専用びょう「コノエネイル」を開発した。「従業員一人一人が明確な目標を持たなければ、今の時代を乗り切れない」と語る河野裕社長に組織づくりなどを聞いた。


――コノエネイルとは

 「頭部の凹(おう)型刻印で測量点を表示するびょうだ。測量といえば、道路面へのペイントやくぎの打ち込みによるマーキングが主流だった。コノエネイルは道路建設が急速に進んでいた66年に開発。主な材質は特殊鋼とステンレスで、折れにくくするための配合に徹底的にこだわっているほか、胴体に滑り止め加工を施しているため、打ち込みやすく抜けにくい。アスファルト道や砂利道など、幅広い用途に使用できる」

 ――入社のきっかけは

 「当社は祖父の河野榮現社主が創業した。私はもともと農学系の研究職に進むつもりだったが、学生のとき祖父が大病を患った。医者の父は会社を継げないため、自分が経営を手伝おうと思い2006年に入社した。祖父とともに得意先をあいさつ回りしたときに、ある上場企業の社長から『よその釜の飯を食べなければ一人前の社長にはなれない』といわれた。そこでコノエで1年間働いた後、その会社で修業。入社研修や実務研修を経た後3年間勤務し、11年にコノエに復帰した」

 ――復帰後すぐ社長に就任した

 「創業当初からワンマン経営で、後継を考えていないことに危機感を覚えた。社長が独断的にリーダーシップを発揮して会社が機能した時代もあったが、今はスマートフォン(高機能携帯電話)が普及し始めてわずか数年で(タブレットとスマホの中間に位置する)ファブレット端末やウエアラブル端末が浸透し始め、スマホを補完したり取って代わろうとしたりするほど変化が激しい時代だ。一人が得た情報だけで経営方針を立てていては時代の流れに対応できない。修業した会社では役職に応じて従業員自らが考え行動していたため、当社での従業員が指示を待っているだけの様子がもどかしかった。トップが変わり、組織が変わらなければと考え、11年に会社を引き継いだ」

 ――改革を行っているのか

 「ボトムアップ型の組織をめざし、人事制度を確立した。まず各役職に必要な資格や能力、与える職務や責任を図表化。中期経営計画の項目ごとに実現できる可能性を数値化し、各部署や各従業員の目標に落とし込む仕組みもつくった。目標は毎月上司との面談でチェックするよう指示。定着させるため『自分で考えて目標を定め、管理してこそ仕事の質が上がる』と全体に諭し続けている。他社でのセミナーや研修会の参加費用も援助してきた結果、物流現場の改善のため他の物流会社にコンタクトを取って現場見学をしたり、当社内の改善点の指摘を受けたりするなど、主体的な情報収集が見られるようになった。就任以来『会社の雰囲気が明るくなった』という従業員が増え、売り上げも毎年10%ずつ伸びている」

 ――目指す会社の姿は

 「当社の製品を心から求める人がいる場所で仕事をしたい。建設市場が活発化しつつある東南アジアでの事業拠点として、13年にシンガポールで現地法人を設立した。現地での取引先はまだ数社しかないが、目標を立て商売を広げていきたい」

 「知名度の向上も重要な課題だ。社名を聞くだけで製品をイメージしてもらえるようになるのが理想。従業員一人一人がルールの順守と自発的な行動を両立できる組織にして、100年続く企業として発展していきたい」  

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記者プロフィール

福井眞美

福井眞美

役職 : -
在学中 : 大阪大学外国語学部(4回生)
出身地 : 兵庫県
誕生日 : 1992年2月29日
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