2013.02.13 13:00

「日本フッソ工業」豊岡敬社長に聞く

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記者:德永裕也

日本フッソ工業(堺市美原区)は、化学産業機械などに高機能樹脂コーティングを施す技術を持つ会社だ。1966年に設立され、現在の社員数は98人。豊岡敬社長に会社のこれまでの経緯や主力事業について話を聞いた。

 ――設立の経緯は

 「父が潤滑剤を扱う仕事をしていたとき、お客さまから物質がくっついてしまい、工場の生産性が低下してしまうことについて相談を受けたことがきっかけだ。その後、アメリカ出張で偶然『Nonstick(非粘着)』と書かれた米化学会社デュポン製のフッ素コーティングされたフライパンを見て、この技術を日本で扱うと決め、デュポン社に認定を受け創業した」

 「私は、父から当社の事業の魅力を聞き、入社して跡を継いだ。それまでは、アメリカの大学で経済を学んでいた。私は英語が苦手だったが、これからグローバル化する社会で英語ができないと落ちこぼれると考えていたからだ。入社後は父に社長を譲られるまで社長になる確固たる思いはなかったが、与えられた環境で一生懸命やる持ち前の性格で今にいたっている」

 ――会社で大切にしている考えは

 「特定の商品を売るよりも、お客さまの課題を解決することだ。もともと創業時の父が顧客の要望に応えようとして生まれた事業だから。創業当時から掲げている『世界一の企業になる』という目標があるが、これも売り上げや従業員数と言った尺度ではなく、お客さまに『フッソさんは世界一の企業だ』といわれることを目指している」

 ――主力事業は

 「売り上げの9割を超えるフッ素樹脂コーティングだ。当社では、その技術で化学産業用機械や半導体や液晶などをコーティングしている。フッ素樹脂コーティングとは、『くっつかない』『腐らない』を実現する技術だ。フッ素樹脂を金属などの表面に付着させ、高温で溶かして接着させている」

 ――今まで一番大変だったことは

 「リーマン・ショックのときだ。アメリカの住宅地価が下落し始めた直後、恐慌によって仕事がなくなることを予想してアメリカ工場を閉め、2年間分の必要経費を銀行から借り入れた。いわば籠城するつもりだった。予想通り仕事がほとんどなくなった時期もあった。先の見えない不安でいっぱいだったが、その時期に取引先で商談中、ろれつが回らなくなって倒れてしまった。脳梗塞だった。その際、医者に『最悪、車いす生活になる』といわれたが、心の中では命があるならばよかったと思った」

 「中小企業の社長は個人負担で資金を借り入れることがあるが、私も例外ではない。今死んでは、会社も家族も大変なことになると思ったから。幸いにも継続性の脳梗塞ではなかったため、今は回復している。それ以来健康に気をつけ、ヘビースモーカーだったが、禁煙している。会社も借り入れのときに想定した2年後には持ち直し、現在はリーマン・ショック前年と同等の売り上げまで戻った」

 ――今後の展望は

 「1つは海外受注の増加。今は韓国に工場を持っている。韓国が各国とFTA(自由貿易協定)を結んだため、その締結国経由での仕事が増えている。それを拡大したい。また、新たな市場を開拓したい。フッ素コーティングにはこだわっていない。そのためにフッ素以外のコーティングの研究開発に力を入れている。コーティングそのものしかやっていなかったが、コーティング済み機器の販売も考えている」

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